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「能開センター」創立五周年に寄せて

 「能開センター」として本格的な教育活動を始めてからこの五月で満五年(それ以前の二年間の活動を入れると七年間になるが)が過ぎた。「よく頑張ったなぁ」というのが第一の実感である。同時に「能開ゼミ」や講習会の内容、指導体制や社内体制を考えるとき「もっとよいものが出来なかったのか」という悔恨にも似た思いがあるのも事実である。
 いつも武器も防具もない身体だけの戦いであった。いつも、精一杯頑張ったが、どこかに不満足感の残る戦いの連続でもあった。
 そうして五年が過ぎた今、3500名の子どもたちと140名の職員、講師、実務関係の若者が集う今日の「能開」が存在している。
 何よりも、私たちを「先生、先生」と呼んで通って来てくれる子どもたちと、多くの塾や進学教室の中から「能開」を選んで彼らを通わせてくれているお父さん、お母さん方に、深く感謝しなければならない。
 設立以来、私たちは能開の教室を「出会いと鍛え合いのひろば」と呼んできた。週一回の「能開ゼミ」は、単なる知識の伝達や受験技術の受け渡しの場であってはならない。むしろ、教える者と教えられる者が裸でぶつかり合い、時には火花を散らして対決し、ともに悩み考え、そうすることでお互いが鍛えられて育っていくような、いわば生き方そのものをぶつけ合うような真剣勝負の場でなくてはならない。そう考えた私たちは、まず「叱れる教師」をめざすことから出発したのだった。
 ルールを守らなかった者や不遜な態度をとる者は容赦なくどなりつけた。言ってわからぬものには正座させ、それでもわからない者にはビンタをくわせた。週一回にしては進度も早く内容も高度なゼミの授業。自主学習の名目で課せられる相当量の宿題。上級学年には度々ある2時間以上にも及ぶ恐怖の「延長特訓」。そして「おはよう」「さようなら」等の基本的なあいさつや礼儀のきびしい励行。
 私たちは、私たち自身が大人としてまだまだ未熟な部分を残した若者であることを十分知っていた。けれども私たちは、私たち自身がつい先日大人たちから文句を言われ、叱られてきた経験そのものを、今大人になった人間として子どもたちにぶつけていこうとした。きびしい条件を課し、時には叱ってでも守らせ実行させる、それは私たち自身を叱ることでもあった。
 一方私たちは、自分が子どもであった時代を忘れていない大人として、子どもたちに「共感できる教師」でありたかった。時に兄貴として、時に先輩として彼らに語りかけ、ともに大笑いできるような授業こそ私たちのめざすものであった。ゼミや講習会の教室に、きびしい中にも絶えず笑いがあり、時には十五分も大爆笑が続き、大切な授業が中断されたりするのもそのためであった。「きびしさと大笑いと熱気のうずまく能開の教室」こそ、私たち全ての教室の目標となった。
 いま、「教育」の最も重要なことのひとつは、大人の世界で大切だと思われていること、また反対に大人の社会の不合理や矛盾といったものを、子ども時代からしっかり教えていくことだ、と私たちは考えている。「教育」の大きな目的が子どもたちを自立させること、一人の社会人として生き生きと生活していける実力を身につけさせることだとすれば、そのような生き方の重要性や生きる術そのものをこそ真剣に子どもたちにたたきこんでいかねばならない。いつも笑顔を絶やさない子はそれだけですばらしいのだということ、こちらがあいさつしても無言で通り過ぎようとする子は人間としてダメなのだということ、勉強は教えてもらうものだと思っている子は本当には「学んで」いないのだということ。こうした当たり前のことをもっともっと子どもたちにわからせていかねばならない。
 いわゆる「受験戦争」についても同様だ。私たちは、試験は落ちることがあるということ、また「自分が落ちたらどうするか」を考えることこそ受験で最も大切なことだと繰り返し子どもたちに語ってきた。確かに「受験」は一つの「戦争」だが、それはだれが考えても子どもの全てを決する「全面戦争」ではありえない。たかだかいくつもの戦争の中の「部分戦争」に過ぎない。だから極端に言えば敗れたっていいのだ。むろん「戦い」だから勝利をめざし全力をつくさねばならない。だから「頑張れ、頑張れ」と子どもたちをはげますこともある。だがそれが、子どもたちを「受験マシーン」に追いやり、心理的に「落ちること」を許さない状況をつくっていないかどうか、大人は考えてみる必要がある。私たちは子どもをはげます反面、「たかが入試じゃないか、そんなもんでビクビクするな」と叫んできた。「落ちたらその学校の校門にツバひっかけて帰ってこい」と受験生たちを送り出してきた。私たちはまさに「落ちることを認める受験教育」をしてきたつもりだが、その点を子どもたちはどこまでわかってくれただろうか。

 長いようで本当に短い五年間であった。悪戦苦闘の第一ラウンドが終わったが、まだまだ余力は十分だ。「子ども自然村の建設」という最終ラウンドの夢にむけて、私たちは益々きびしく第二・第三ラウンドの戦いをすすめていくつもりである。

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