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1984年(昭和59年)

子育ての欠落 豊かさのせい?

対談者:作詞家 阿久悠 氏
能開センター代表 西澤昭男

■貧しさ体験の賛美は逆効果

西澤:
親子で見るものとしては、久々にすがすがしい映画だと思います。原作の方も、なかなか楽しく読ませてもらいました。でも、映画では子どもたちの年齢が少し上がっているようですね。あれは篠田監督と阿久さんの原体験がうまく重なり合った結果なのでしょうね。
阿久:
篠田監督と僕の、六歳の年齢差が非常にいい形で生かされたと思います。終戦を迎えたとき、篠田さんは中学三年で僕が国民学校の三年だった。そんな年代差があるので、戦後との出会い方はずい分違うんですね。
 僕にとって、あの時代は必ずしも暗くなかった。教えられていたものが一転する訳ですから、ショックはありました。でもその後、出会うものは全部初対面。毎日がカルチャーショックに忙しくてしょうがなかった。
 そんな面と、時代のそこに流れていた民族のつらさみたいなものがこの映画の中で二重構造になっていて描けている。これはやはり、監督と僕の年代差が、うまくいったことだと思います。
西澤:
僕は昭和十七年の生まれで、二十年からの四年間は長野県の上田市に疎開していました。映画に出てくる場面とはだいぶ違うんですが、やはり食べるものがなくて。お袋が近所の畑仕事のお礼にもらってきたおにぎりに、味噌をつけて食べたり。他にも千曲川で泳いだことや、村のお祭り、道祖神といった田舎の終戦当時の記憶が今でも原体験として残っています。そうした体験のある我々から見ると今の子どもは自然の中で遊ぶ機会もまれだし、子ども同士で遊ぶことも少ない。ですから、今度広島県(みろくの里)に完成するうちの研修センターも、将来的には“子ども自然村”みたいなものにしていきたいと考えているんです。
 ただ、単に自然が失われつつあるからということだけじゃなくて、その環境の中で子ども自身の失われつつある活力や自主性を、いかに引き出してやれるか、ということを考えています。
阿久:
僕はあの時代を書いて、当時は人間、活力がありましたよ、とは言いますけどあの時代がよかったとは言いません。でも、あんな時代でも活力を失っていない人間がいたから今の日本があるんです。そのことを誰も伝えていないというのが一番問題点かなという気がするんです。
 あの頃、人間は生きていたんだ、社会は病んでいたかもしれないが・・・・・・、ところが、今は社会が生きていても人間は死んでるわけですからね。
 これは親が子に話して聞かせる能力にも問題がある。よく、都合よく貧乏を賛美するでしょう。俺たちの頃と比べて、おまえたちは・・・・・・という論法で話そうとするから拒絶反応が生まれてくる。
 いい人間になるためには貧乏にならないといけない、なんておろかな話はないですよね。あんな時代でもこうやれたんだから、こんな豊かないい時代だったら、もっといいことができる、という論法にもっていかないと・・・・・・。だから、僕らの世代がやらなきゃいけないのは、今は悪い悪いと言うんじゃなくて、今はいい時代だということ、いいものを使いこなす知恵をどう身につけさせるかが大事だと思います。
西澤:
豊かさの中で育っている子どもたち、これが現実ですよね。そしてその豊かさの中で子どもは、自身が本来持っているはずのイマジネーションや創造力をどんどん欠落させていっているんです。いろいろ工夫してみたり、また別の環境に住む人のことを思いやったり、ということがほとんど見られない。つまり創造力が弱まっているんです。
 かといって、おっしゃるように環境を昔にもどしたところで、それは何の解決にもなりません。現実問題として、子どものそうした本来的な能力を引き出し、伸ばす機会というものは、もう我々が作っていかなければならないのだと考えています。

■驚き、感動から活力は生まれる

阿久:
今の子どもにもう一度、そんな創造力を持たせようというのは難しいと思いますね。だけどやらないといけない。
 僕らの世代なら、テレビが出てきたとき、箱の中から絵が出るというのがまず不思議だった。中に誰かいるんじゃないか?と思いましたよ。
 ところが、今の子は全然、不思議に思わないんですね。
西澤:
理科で「仮説実験方式」という学習法があるんです。例えばここにコーヒーがあって、これは十グラム。それに一グラムの角砂糖を溶かすと果たして十一グラムになるかどうか・・・・・・。そんな日常の中の科学が、子どもの関心を強く呼び起こすんですね。学問というのは、そういう身近な疑問や驚き、感激から出発すべきものなんです。でも、今の学習内容そのものが旧態依然としているから、日常感覚からはどんどんずれてきているようです。
阿久:
まず親が先に不思議がればいいんですよね。すると、もともと子どもの脳の方がやわらかいんだから、それが呼び水になって、さらに親の気づかないことを引っ張り出してくるかもしれないですしね。
西澤:
実際に子どもたちと教室で接したり、合宿なんかで彼らを見ていますとね、今の子どもにも非常に明るい面はあるし、また、自分は将来何をやっていこうかといった夢なんかも、実は彼らなりに持っているんです。
 今の社会に生きる大人としまして、だから我々は子どもたちのそういった部分を助長していく義務があるし、そうする価値も大いにあると考えるわけです。まあ、一般的には塾ということで、否定的に取られがちですがね。
阿久:
僕は受験のために塾に通うこと自体、悪いとは思いません。そういったことに一般論はあり得ない。
 ところが、社会人になる関門として受験だけしか評価しない点に問題がある。これでは、受験そのものがよけい“悪者”になってしまうでしょう。
 今のように一元的な評価しかないと、逆に言えば西澤さんなんかがしなくてもよいご苦労を強いられることになるわけですね。
西澤:
しなくてもいい弁解をしちゃったり、したい断言ができなかったり。(笑)人間には多様な側面があるわけですから、世の中全体がそうした目でそれぞれを見ていこうというように、これからは変わっていくと思いたいですね。
 それに受験そのものについても、誰もこのままでいいとは思っていないでしょう。この先子どもが成長する過程のひとつとしてあるのだとすれば、確かに苦しいけれど、そこには充実させられる要素もかなりあると思います。
 でも、今取りざたされているのはその結果だけなんですね。受かるか落ちるかという、それだけです。僕らは、たとえ失敗しても目標に向けて真剣に頑張ったのなら、結果としての合格よりも気持ちのほうが、つまり“心の合格”の方が大事だといつも言うんです。
阿久:
今は人生八十年、という時代だから、二十代で大学に入れない、といっても問題じゃない。だけど、隣の子が行ってると、やはり気になる。結局、度胸がないから。
 それに息子のためにレールを敷いてもね。僕なんかは、親として大したことないから僕の敷いた道を息子がその通り歩いても大したことない。それより全然違う方がふくらむ可能性があるんじゃないか、と考えます。
西澤:
親と子、特に親父と息子というものはだいたい対立するものです。親父は子どもの前にバーンと立ちふさがっていればいいんです。それを、どう乗り越えるかが子どもにとっては大事なことなんだと思います。
阿久:
親っていうものはもう少し自信を持てばいいんです。
西澤:
目標をもっていきいきとやっている生き様を、そのまま子どもにさらけ出せばいいんですよ。あの映画の中でも、よほど子どもの方がしっかりしている場面が何シーンかありました。そういう意味では、いつの時代でも子どもの存在はすごいと感じますね。
 ですから、親父にしろ先生にしろ、早く乗り越えてもらうためには、カベになることです。真面目に、せいいっぱい立ちふさがるカベになることで、子どもは逆に何クソッと頑張るものですよ。
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