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1989年(平成元年)12月号

冬を迎えた今こそ〜受験について考えよう 自ら道を切り開くため〜

■素晴らしいチャレンジ―受験

 冬休みは特に受験生にとって、まとまって取れる最後の休みであり、言うまでもなく大切な時期に当たります。そんな時期、改めて受験についてしっかりした考えを持ってほしいと思います。
 入試日が日位置にと迫る中、「合格したい」という思いと、「ひょっとしたら」という不安のはざまで、一生懸命勉強するのは大事なことであり、苦しいことでもあります。
 しかし、だからといって受験を何か「特別なこと」だと考え、周りから特別扱いされて当然だと思う人がいるなら、それは間違っていると私は言いたいのです。
 ここまで頑張ってきた受験生に対し、受験以外のことに、今、時間を使わせようというのではありません。今は、生活の大部分を受験に絞ってやっていかなければならないのも事実です。
 ただ、よく考えると今目の前にある受験は「そこに入りさえすればいい」というものではなくて、「その上の学校、さらにその上の学校」という目標と結びつき、そして、やがては世の中で自分の力を思い切り発揮できる仕事や地位について活躍したい、という思いに結びついていくはずです。
 その意味で一つ一つの受験は、受験の時点では一つの目標でも、次の目標から見れば手段になっているのです。将来、世の中で一人立ちして、立派にやっていく―つまり「自立する」という目標からすれば、目前の受験は自立に向かって、いくつか手前のハードルを越えるか否かということになります。
 今、自分の力をもって、受験という一つの目標にチャレンジできる―それ自体素晴らしいことであり、受験できること自体に感謝の気持ちを持たなければならないと私は思うのです。

■若々しく立ち向かおう

 大人になってから、自分自身の過去や同級生の人生を振り返ってみると「人間は、どういう職業に就くか、どう生きていくか、小・中学校の段階ではほとんど決まらないし、高校でもはっきりしないなあ」と思います。人生の一つ一つの時点では大変真剣に考えていても、後になると「なぜ、あんなことを考えたのか」と思うこともあります。きっと人生は“一直線”ではないのでしょう。
 重要なのは、そのつどそのつどの岐路(分かれ道)で、自分で考え自分の道を切り開いていく力なのだと思います。受験に対しても、若々しい気持ちで、自分の人生を切り開くんだという気概をもって挑戦していきたいものです。
 最近、かつて私が教え、難関高校から医学部へ進んだゼミ生OBと会いました。彼は今、「自分は医師にむいていないのではないだろうか」という悩みの中に居ます。小学生時代の彼は「物理学を学んで科学者になりたい」という志望を持っていました。そして今も、その気持ちを捨てることができないようです。
 利発で、しっかりと自分についての分析ができている彼のことですから、きっと悩みから抜け出してくれるだろうと信じていますが、人もうらやむコースを歩んでいる彼でも、時には壁にぶつかることがあるのです。
 そんなときこそ、これまでの受験やさまざまなことを、自分で考え判断してきたか否かが問われてくるのでしょう。彼が悩みを解決し、自分で道を切り開いてくれることを心から期待したいと思います。

■自らにため学ぶ

 受験学年を含め、すべての諸君に望むことがあります。「勉強し得る」ということに感謝の気持ちを持ってほしいと思うのです。特に会員生はゼミや講習会で、さらに勉強する機会が与えられています。だからこそ、周りに言われるから、といった受身的な気持ちではなく、自らのためという姿勢で勉強してほしいのです。
 灘中学・高校の故・勝山正躬名誉校長先生はよく、「勉強は自分のためにするためのものである」とおしゃっていましたが、将来大人になって一人で生きていくことを考えるとき、勉強はだれのためでもなく、自分のためのものだということが分かると思います。
 また、さらに視野を広め、自分のために勉強を引き受けるとともに、「仕事をして社会に何かを返していってやろう」「世界に対して何か貢献できることはないか」というぐらいのスケールで考えてほしいとも思います。
 私は最近考えるのです。
 実現しそうもない夢や理想―「絵に書いたモチ」でも、それを描ききってやろうという気持ちで努力すると、もしかすると達成できる、たとえできなくても目標に近付くことはできるのだ、と。

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