古山竜司さんの仕事情報
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古山竜司(フルヤマリュウジ/27歳)
能開センター近畿圏本部 難波ジュニア校
九州大学大学院 芸術工学府 芸術工学専攻 |
プロフィール
塾という教育現場をメインとしながらも、イーラーニング、映画など幅広く事業展開しているという点に注目し、新卒で入社する。現在は「能開センター」難波ジュニア校にて小学1年〜2年を対象とした低学年プロジェクトに従事。算数の講師、教材やテストの開発、保護者対象のイベント運営などを手がけている。 |
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プロローグ
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レベルの高い先輩講師陣から影響を受け、生徒の心に響く授業スタイルを追求してきた古山。もともと大の子ども好き。超難関中学受験を目標に掲げる小学校低学年の算数を受け持ち、教材やテストの作成に追われつつも、可能性を伸ばす喜びは大きかった。
入社2年目からの課題は、保護者向けのイベントだった。超難関校を目指す子どもの親だけに、塾への関心度は高い。どんな講師が、どんな取組をしていて、その効果はどんなものかを披露するイベントは、塾の評価をも左右する。イベント後、顔見知りの保護者から「よかったよー」と声がかかり、胸をなでおろした。「万事、おおむね順調」というのが、古山の自己評価だった。近畿ブロック長との面談を迎えるまでは…。
「もっと力を発揮できるはずだ。なぜやらないんだ」。近畿ブロック長の言葉は、衝撃だった。厳しい指摘。だが、古山への期待の大きさがダイレクトに伝わってくる。決められたとおり無難にこなしていく毎日に、古山自身、フラストレーションを感じてもいた。「やらねば。望まれているのだから」。入社3年目。「周囲との摩擦や失敗をも恐れず、納得いくまでやろう」、古山はそう心に誓った。 |
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| ベテラン講師による的を射た指導ぶりを吸収。ハイレベルな授業を目指す。 |
幅広いフィールドを持ち、社会貢献と自己成長の両面が叶う企業で働きたい…そんな古山にとってワオ・コーポレーションは理想的な職場だった。WAOグループ内には多彩な事業があり、チャンスがある。その第一歩として古山に与えられたのが、進学塾「能開センター」の教室運営というポジションだった。
「この教室の講師は、格が違う…」。研修中にハイレベルな授業風景を幾度となく目の当たりにした古山は、圧倒された。生徒ウケする授業なら、自信があった。子どもが好きだから、わかりやすく工夫する重要性も理解しているつもりだった。だが、超難関校を目指す生徒たちを教える先輩講師は、そのレベルなど超えていた。一から十まで教えたりはしない。つっかえている部分だけを抽出して、短いヒントで理解を促し「わかった!」の笑顔を引き出す。神業だった。
授業を見学しては、教え方を学び、吸収する日々が続いた。講師として、教材やテストの開発者として、古山はめきめき頭角を現していく。が、それらは教室運営の序章でしかなかった。 |
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塾の評価を左右するイベントで、保護者の熱い視線を浴びる。
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大きな試練は、2年目に訪れた。能開センターが主催するイベント「中学受験フォーラム」で、保護者の前に立つこととなったのだ。古山にとっては保護者対象行事デビュー。しかも全3日ある日程の最終日を、算数の担当者として古山ひとりで受け持つ格好となる。もちろん子どもを迎えに来た保護者と、普段から接してはいた。古山が作成した教材に対して「いい問題ですね」「さすが」との評価をもらったことも一度や二度ではない。が、イベントとなるとまた少し違う。
当日、訪れた保護者は50〜60名、その半数とは全く面識がない。保護者の目に映る自分の印象が、何より先に「若い」であることは明らかだった。「決してナメられてはならない」と、理論武装した。「何を聞かれても答えられる先生でなければ…」と意気込んだ。テキストも自分で作り「算数嫌いにならないために、低学年で大事なことは何なのか」をテーマとした。できることはやった。保護者からの反応もまずまずだった。だが、何かが足らない。本当にこれでベストなのか? もっとすべきことはないのか…古山は、自分自身の胸中に湧き上がる「何か」を、しばらく整理できずにいた。 |
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| 「もっと、怒られなきゃだめだ。ぶつかるくらいでちょうどいい!」 |
そんな時、「能開センター」近畿圏本部の責任者との面談があった。仕事は順調に進んでいると思い込んでいた古山にとって、責任者の口から放たれた言葉は、あまりにも厳しかった。
「もっとできるのに、なぜやらないんだ」と近畿ブロック長。その勢いに古山は「上からの指示に従って、動いてきたつもりですが…」と返すことしかできなかった。「それだけでは、だめだ。上とぶつかり、怒られるくらいの覚悟でやってほしいんだ」と、近畿ブロック長は真意を語った。そう、怒られるとは小さなミスを注意されるようなレベルではない。すべきことを見つけたら、上の人間から難色を示されても食らいつくぐらいの人間であれ、そんな投げかけに違いなかった。
その投げかけは、古山の中にくすぶっていた火種、「与えられた仕事はこなせる。でも、それだけではだめなのでは…」という思いを見事にあおった。「やらなければ。やっていいと言ってもらえる環境にいるのだから!」。 |
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| 「やらせてください」の一言から、全てがダイナミックに動きはじめた。 |
古山はその熱い思いを、入社3年目の6月に開催されるフォーラムに投入した。まず日程。フォーラム全体で動員数を増やせるように、校責任者を中心にチームで戦略を練り、保護者がより足を運びやすいスケジュールを組んだ。また古山が担当する算数では、保護者の関心が高い「ケアレスミス」をテーマに提案した。
「ミスは防ぎようがないからテーマにしにくいのでは」と、いったんは難色を示した校責任者も「保護者が問題視しているのだから、ぜひ解決を試みたい」「やらせてください」と自信を持って言い切る古山に押し切られた形で了承した。もちろんそこに至るまで議論し尽くした。「やるだけやった」感が古山をはじめ、教室スタッフ全員を包み込んだ。結果、保護者の動員数は前年の1.7倍を記録。保護者からもフォーラムで古山が話した内容を参考に「ウチではこうしてみますね」などと、いくつもリアクションがあった。そして気がつけば、校責任者も、古山も、教室スタッフ全員が「議論できるチーム」になっていた。
「多少ぶつからないと、チームは大きくならない」。そう実感した古山は、自身もひとまわり大きく成長していたのだった。 |
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| エピローグ |
「フォーラムのテーマとしては、今ひとつなんじゃないか」と、ケアレスミスを取り上げることについて反対してきた校責任者に、古山は今、心から感謝している。意見を十分に求められ、間違っていたらなぜなのかをはっきり教えてもらえた。そして、最終的には了承となった。
そこには、上のいいなりでもなく、下の意見がうのみにされるのでもなく、議論して納得の上で進められる環境があった。
グループ内にいろいろなセクションを持つWAOで、古山のチャレンジはこれからも続く。だが、どこへ行っても、実際に学んでいる生徒に最も近い現場で、生徒のためになるアイデアをチームで練り上げたという体験は、古山の土台となっていく。 |
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