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1984年(昭和59年)

勉強は何のためにするのか -子どもたちが生きていく21世紀に向けて-

対談者:元大阪星光学院中学・高校長 都成日出人 先生
能開センター代表 西澤昭男

■大阪の教育事業、今・昔

西澤:
先生が大阪星光学院の教壇に立たれてから、二十八年余とうかがっていますが、その間、大阪の私学に対する評価もずいぶん違ってきているんじゃないでしょうか。
都成:
そうですね。ご存知のように、大阪というところは江戸時代から、お上に対する信頼が強い地方のため、北野・天王寺などに代表される、公立校が伝統的に強いところでした。最初のころは、公立校の併願校ということで、うちの学校はまず第一志望に挙げられる学校ではなかったと思います。
西澤:
いまにして思うと隔世の感といいますか、信じられないことですね。それが奈良県の東大寺・京都の洛星と並んで、このごろ東京辺りでも、進学校として大阪星光学院の名前がよく挙げられるようになってきていますが、生徒たちの勉強に対する姿勢はどんなものでしょうか。相当一生懸命取り組んでいるのではないかと想像するのですが。
都成:
そんなことはありませんよ。むしろ進学面で実績のあまりなかった昔のほうが厳しかったんじゃないですか。みんな必死にがんばったと思います。少しばかり実績ができてからはいけませんね。甘い連中が多少ふえてきたんじゃないでしょうか。クラブの先輩もあの程度の勉強で京大へ入ったのだから自分も行けそうだというあなどりが出てきましてね。余裕があるというか、あまり勉強に熱心じゃない印象を受けることもあります。

■受身の学習を脱して自主的な学習を

西澤:
受験生たちにとってはなんといってもまず合格することが先決。学問の本質というよりは、問題を技術的にいかに早く上手く解くかという勉強にどうしても傾きがちですが、合格して入学した生徒について、何か気づかれる点はありますか。
都成:
別にこれといってありませんね。いまの子どもの悪口をいったところで、どうなるわけでもないですし、欠点を裏返してみるといいところもあるでしょう・・・・・・。ただ、これは東大の先生なんかが大学院の学生についていっているように、指示がないと勉強できない、宿題を与えなければ学習しないというタイプの学生がふえてきているようですね。資料の提出を求められて、どこにどういう材料があって、どんな方法で集めたらいいのかまったくわからない。細かく一つひとつ指導されて初めて動き出す、ということですから、これは全般的な傾向ではないでしょうか。
西澤:
それは困ったことですよね。ところでいま、宿題を与えなければ勉強しないというお話がありましたが、大阪星光学院の場合、出される宿題の量が、他の学校よりも多いと聞いているのですが、なにか理由があるんですか。
都成:
ええ、宿題は多めに出すようにしています。でも、全部解いてくることを要求しているわけじゃないんですよ。基本的なところをやればそれでいいんだし、手応えのある問題に当たりたい生徒は、全部突っ込んで勉強すればいいわけです。決して全部やらなければならないということではないんです。それをあまり神経質になって全部をきっちりやるのに時間が足りないなんていわれると、ちょっと困るんです。

■子どもの将来を考えた進路の決め方を

西澤:
完全主義というか、完璧さをあまり強く求めると、落とし穴に陥るようですね。たとえば私たちの担当している進学指導なんかでも、一回や二回の受験の結果で人生の全てが決まってしまうわけではないのですから、失敗したときの次善の策というか、逃げ道というか、将来のためにいくつかの段階を考えたうえで受験に臨むべきだということを訴えているんですが、これがなかなか理解していただけない。“一つ上ねらい”というのは、子どものチャレンジ精神を育てる意味で重要なことだと思うわけですが、その場合でも「何がなんでもその学校へ」というか、子どもを一方的にある学校に入れようと追い込んでしまうというか、極端な考え方をするご父母が時々おられますが・・・・・・。
都成:
人間は誰でもそんなに完全にできているわけじゃないんですから、たとえ子どもには可能性が多く残されているからといって並はずれた完全さを要求するのは酷なんですがね。子どものためという理由で、無理なことを要求するのは賛成できかねます。

■高い志と進取の精神が今こそ必要

西澤:
受験という話題が出ましたので、お聞きしたいんですが、大阪星光学院の生徒やご両親の進学希望先はいまどうなっているんでしょうか。
都成:
国公立大学のむつかしいところを目標にするようですね。最近は関西の有名私立大学を受ける子どもは、非常に少なくなりました。医学部志望が依然として多く去年は卒業生二百人中、六十人がそうでした。そこで、何でそう医者になりたがるか理由を聞いてみたんです。そしたらおもしろいことに、医者の社会的地位が高いからとか、収入が多いからとか、働きがい・生きがいがあるというのではなくて、母親にいわせると、医者だったら遠くに行くこともないだろう、きっと一緒に住めるに違いない、ということが理由なんですよ。しかも、その母親の考えに子どもも追従している。これが一般的な考えだとすると実に憂うべき現象ですね。あまりに進取の精神がなさすぎる。若い人には生まれた家から遠く離れて、広い世界でたくましく生きていってほしいと思いますね。
西澤:
今年の正月にテレビで「福沢諭吉」という番組を、十二時間ぶっ通しでやっていましたね。あの番組を見て思ったのですが、江戸末期から明治初期の青年たちはすごいですね。高い志を掲げ、進取の精神を持ってしゃにむに取り組んでいく。スケールの違いを感じました。
都成:
当事の青年は他人の世話にならないという独立独歩の精神が旺盛だったからね。
西澤:
それに彼らは足で全国を駆けまわっている。自分の足と眼で当事の日本を見すえている。つまり、日本全体を肌でつかんでいる。そういう意味では、現在の青年たちは、余りに現実に寄りかかり、安全策ばかりを取りすぎるのではないでしょうか。風土や慣習の違う所で、若い時期を過ごすのは、その後の人生にとっても大きな意味を持つのですがねえ。
都成:
そうです。だからどうも先程言ったような意味で医学部ばかりに行かれては困るんですよ。
西澤:
医学部志望者が多いということ以外に、このごろの大学進学でお気づきの点はありますか。
都成:
東大は合否に占める共通一次の割合が二割と低いため、一次の成績が悪ければ東大、逆に良ければ一次・二次のウエートが接近している京大、というケースが最近ではふえているようですね。それにしても、ここでもやはり安全指向が顕著ですね。いまの子どもは多少チャレンジ精神に欠けるようです。それと大学受験ということでもうひとつの傾向は、東京の私学の人気が上昇しているということですね。学部・学科によっては、神大・阪大を避けてむしろ早慶や上智大など東京の有名私立大学へ行くという生徒がふえてきていますよ。

■入学試験をなぜ二教科にしているのか

西澤:
ところで、大阪星光学院中学校の入試についておうかがいしたいんですが、入試科目はずっと算数と国語の二教科だけですね。これには何か理由があるのですか。
都成:
三教科でも四教科でも別に変わりはないんじゃないですか。定員があるから、なんらかの方法で選択をしなければならないということだと思うのですが・・・・・・。それに私の考えですが、小学校の社会と理科は、系統的な学問の形をなしていない。試験は二教科だけで十分に事足りると考えています。
西澤:
有名私立中学の入試は相当早くから準備する必要がありますが、二教科だとわりかし気が楽で、よしっ、おれもやってみようかという気が起こりやすいから不思議ですね。

■寝食を共にする合宿こそ人間教育の原点

西澤:
さて、その入試に無事合格して入学した在学生の諸君に尋ねますと、大阪星光学院の大きな特色として、合宿があるということをよく耳にします。私たちも夏を冬を中心に合宿という行事を積極的にとり入れているので、非常に興味のあるところなのですが合宿の内容について少しお聞かせ願えますか。
都成:
創立当事から夏のキャンプということで、奈良県、香川県などあちこちの田舎によく出かけたものです。それが、もうぼつぼつ腰をじっくり落ちつけてもいいだろうと、信州に土地を買いまして、いまの黒姫山荘をつくりました。山荘が出来たので今度は海の家ということで五、六年後に和歌山県の南部学舎を設けたわけです。宿舎を持った理由は、やはり子どもたちに一週間くらい寝食を共にする機会を与えたかったからですね。合宿では、できるだけ時間をこま切りせず、天王寺の本校ではあまり学べない勉強をするように心がけています。海洋生物の生態を観察するのにたっぷり時間をとったり、五万分の一の地図でもって宿舎の付近を歩いてみたり・・・・・・。夜寝る前に話や簡単なお祈りをしたり、広い意味での宗教教育にも力を入れています。

■二十一世紀では何が重要になるのか

西澤:
なるほど。内容の濃い合宿ですね。いまの子どもたちが生きていく二十一世紀は、高度情報社会が到来するなどいろんな意味でたいへんな時代だと思われますが、そういう未来だからこそ、幅が広くて洞察の深い人間教育が必要になってくるのでしょうね。親にも教師にも、目先の利益だけでなく、将来をしっかり見通した視点で子どもを育てていくことが、いま要求されていることだと思います。先生のお考えはいかがですか。
都成:
まったくその通りです。すでに非常に豊かな物質文明を現在築いているわけですが、これからはニューメディアに代表されるような高度情報社会になるでしょう。そういった未来社会と過去の社会の住人とではどういった点に違いがあるのかというとやはり物質文明の中では、物に関心が向きすぎ、「目に見えないもの」に対して非常に無関心になると思います。友情やいろいろな理想、宗教や道徳、そういった目に見えない、精神的なものの価値がいよいよ軽視されていくでしょうね。それから情報化社会では、次々に新しい情報の洗礼を受けることになるわけですが、どの情報を選択するかという基準のようなものが各人に欠かせないわけです。その基準とは何かというと、永遠のテーマともいうべき宗教、哲学といってもいいんですが、まあ広義の宗教ともいうべきものだと思います。そういった精神的支柱の重要性がより高まるでしょう。

■勉強は人生の根本姿勢を確立するためにある

西澤:
そうですね。そのお話で思い当たるのですが、“勉強の在り方”というようなものも考えなおさなければいけないのではないでしょうか。といいますのは、これまでの勉強というのは社会に出てからどのように役立つか、たとえば法科出身者なら法律知識が豊かだとか、そういった功利的な面、これは学歴も含めてのことですが、そういった面が頭にすぐ思い浮びがちですが、同時にもっと自分自身を深めていくというような、学問に対する本来の価値基準みたいなものを自分の中につくっていける、自分自身の反省も踏まえてなんですが、そういうものとして勉強を見直していく必要があるんじゃないでしょうか。
都成:
そうですね。永遠に変わらない価値をしっかりと保持すること、いい換えると人生に対する根本的な姿勢をがっちり確立する必要がある、その方法として勉強をとらえなおす必要があるでしょうね。
西澤:
確かに真に奥行きのある人間形成がますます求められるようになり、深い思考力や判断力、また精神的な強さとか人間的優しさといったものは、毎日の誠実な生活態度や学習の中でゆっくり培われるものだと思います。私たちも二十一世紀を担う子どもたちの明日を真剣に考えて、日々尽力していかなければならないと改めて心に誓う次第です。
本日は本当にありがとうございました。
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