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2014年(平成26年)6月(No.701)

オタク文化の世界戦略

 京大には昭和38年から45年まで7年間在籍した。この間に東京オリンピックと大阪万博があり、経済成長のさ中にあったが、学生運動の嵐が吹きまくった時代でもあった。大学院の3年間はほぼ封鎖。バイトと麻雀、同人誌の発刊、そして仲間との論議に明け暮れる毎日だった。結局修論は出さず5年遅れ(2浪の為)で社会に出た。その後2つの小さな会社を経て、昭和51年に大阪で予備校の日曜の空き教室を借りて<塾>を開いた。「日本の教育を変えよう」、「やるからには日本一をめざそう」を合言葉に東奔西走、各地に教室を拡げていった。38年後の現在、37都道府県の333教室に約4万人の生徒が通う大手塾に成長した。しかし初期の目標には遠く、今後もチャレンジが続く。

 平成12年にエンターテインメント事業を第2の柱にしようと考え、東京にアニメの会社を設立。教室では教えられない「志」「感動」「感謝」などをアニメの作品を通して感得してもらおうと考えたのだ。子どもだけでなく、大人も楽しめるように実写に近い内容にした。その結果、第一作の「NITABOH-津軽三味線始祖外聞」はソウルの国際アニメ映画祭でグランプリに輝き、二作目の「ふるさと-JAPAN」も映画発祥の地フランスのリヨンでグランプリ、三作目の「8月のシンフォニー」も3年後に準グランプリを獲得した。10年で3作の監督をし、各地の映画祭をまわってわかったことは、世界の若者たちは日本のアニメ(マンガ)を娯楽をして楽しむ一方、「愛」「夢」「友情」や「勇気」など生きていく上での大切なことを作品を通して学んでいることだった。マンガをちゃんと読む為に日本語を勉強している人も少なからずいるのだ。一方、日本の若者ファッション、「コスプレ」や「ロリータ」など「カワイイ文化」の人気もものすごく、アニメやマンガ・キャラクターなどを融合した「オタク文化」の一大イベントが世界各地で開かれている。パリの「JAPAN-EXPO」には毎年20万人を超える人がヨーロッパ各地から集まる。彼らが「オタク文化」を支持するのは平和で豊かで自由な国「日本」への憧れと「遊び心」への共感があるからだ。

 平成25年2月、こうした「オタク文化」のありのままを世界に発信したいと考え、インターネット放送局をYouTube上に開設した。秋葉原・原宿・渋谷にやってくるオシャレな女の子にインタビューしたり、日本の様々なイベントを取材して配信したのだ。反響は結構大きく、1年少しで195の国や地域で視聴され、回数は185万回、Facebookのフォロー数は43万件になった。ハリウッドのTV局(UTB)やシンガポールの「ハローJAPAN」では定例番組として放送されており、ベトナムやフィリピン、オーストラリアのTV局との交渉も進みそうだ。第2弾ではマンガやアニメの新作の配信、そして第3弾では伝統文化・魅力ある観光スポット・最新の科学情報などを予定しており、今後が楽しみだ。視聴者の数を圧倒的に拡げながらビジネスチャンスを探っていこうと考えている。本来の狙いである教育コンテンツの配信に向けても準備をしていきたい。

 「クールコリア」を国家戦略としている韓国には水をあけられたが、日本政府も動き出した。「知的財産推進計画」をもとに5年で1500億円を投資するという。数年前から大学でのマンガやアニメの学科新設も多くなり、自治体も「ゆるキャラ」や「ご当地アイドル」に力を入れるなど「オタク文化」への関心が一挙に高まってきた。問題は才能ある人材の発掘・育成であり、業界の労働条件の改善をどう進めるかである。政府の政策がバラまきに終わらぬよう見守りたい。

 最後になったが、国際交流推進機構長の森 純一教授からお話があり「オタク文化」について2年連続で京大生に講演をさせていただいた。京大生のように能力の高い若者が「オタク文化」にも関心を持って世界中の若者と交流し、「志」をもってベンチャーを立ち上げるようになれば-。そんな期待を込めて話をさせていただいた。

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