戻る

1989年(平成元年)6月19日

名もない会合

 何とはなしに誘い合わせて酒席をともにし、しばし談笑して別れる。話はおのおのの近況から政治、経済、文化論に及び、時に京都と学生生活の思い出に至る。会の名もなく、次に会う予定もない。そんな会合がかれこれ十数年も続いている。
 「君子の交わりは水のごとく淡し」というが、私にとっての「君子」は、青木康容(同志社大学教授)、平井邦夫(大手前女子大学教授)、秋田康之(建設企画コンサルタント総務部長)、沢田吉孝(家具のサワダ取締役)の諸君である。
 私たちは昭和三十八年に京都大学文学部四組に入学の同級生。といっても授業で顔を合わせた記憶はほとんどない。百万遍の学士堂という喫茶店をたまり場にして、そこからアルバイトやジャン荘に行き、時にはデモや集会に参加した。また、互いの下宿を訪ね合っては文学論や女性論に花を咲かせた。特に京都出身の沢田と秋田のお宅には、度々徒党を組んでは押しかけ、食事やお茶のお世話になった。
 だれもが自由であった。訳もなく孤独で、訳もなく何かに餓(かつ)えていた。私たちはそんなおのおのの青春を文章に表すようになり、詩・小説・論評と多才な平井を中心として、「モメント」という同人誌を発刊した。作品の内容は未熟なものも多かったが、刷り上がった雑誌を市内の書店に置いてもらったり、女子大に売りに行ったりした。今は楽しい思い出である。
 さて、私は昭和五十一年に今の会社をつくり、皆様のおかげで昨年末に株式公開をさせていただいた。この間に仕事を通して思いがけない程多くの方々にお会いすることが出来、親しくおつき合いをいただいたり、様々なご教示・ご支援をたまわってきた。私にとっては本当に大きな財産である。しかし、大学の友人たちは別なのである。最も多感な時代に共通の空気を吸って生きたいわば“同志”なのである。家族とは別の意味で、「こいつはこんな奴や」と互いにまるごと了解しあえるような間柄なのだと思う。五人の名もない会合は、今後も続いていくことだろう。

戻る
このページのトップへ